|
|
Viscontiの山猫
Viscontiの山猫は、長年気にし続けていた作品だが、ようやく見ることができた。
今まで見た彼の作品の中では一番わかりやすく、彼の後年の作品を考える上でのよいテキストになるのではないだろうか。
「ベルッシマ」の方が初期の作品であるが、それだけに後期の一種の重みを持った彼の作品とは、かなり違った印象を受ける。
「山猫」では、彼の人生哲学が明確で、3時間という時間が、統一された流れを維持したまま、見ているものを渦の中に巻き込んでいくかのようだ。
「生」と「死」、「新」と「旧」、「繁栄」と「衰退」、「若さ」と「老い」...人生と時代が寄り添いながら、一つの流れの中で語られていく。
Viscontiの作品は、その時代や場所を変えながらも、執拗に何か一つのことを撮り続けているように思う。それは、時代の変化の中の生命
...老いて衰えゆくものと、若々しく生き生きと新しく台頭してくるものであるような気がする。
この作品では、最も解りやすく描かれているような気がする。
これは私の考えだが、当時彼もまだ若く、時代や人生の移り変わりを、かなり客観的に扱うことができていたのかもしれない。後年、彼も老い、病をし、死をより現実のものとして感じるようになり、 更に深い思いが、作品に加わっていったのではないだろうか
...それは、一人の人間としては当然のことのように思う。
それだけに、後年の彼の作品を高く評価する人たちは、
Viscontiの目を通して見た世界・哲学に共感し、作品を見ていくのだと思う。
そういった意味で、この「「山猫」という作品は、彼の哲学を知るキッカケを与えてくれる作品だし、思いを込める「焦点」もハッキリと教えてくれるのではないだろうか。
|