◆ジョエ・コロンボ略歴
ジョエ・コロンボ(JOE
COLOMBO/1930〜1971)
ジョエ・コロンボは、
1949年までミラノにあるベルア美術アカデミー(Accademia
di Belle Arti di
Brera)で画家として勉強を学んだ後、1954年までミラノ工業大学(Politecnico
di Milano
University)で建築を学びます。
画家・彫刻家
セルジオ・ダンジェロ(Sergio
D'Angelo)とエンリコ・バイ(Enrico
Baj)に見い出され、ジョエ・コロンボは1951年に前衛美術集団モヴィメント・ヌークレアーレ(Movimento
Nucleare)に参加し、前衛的なアーティストとして、絵画や彫刻を制作し、他のメンバーと共に、ミラノ、
トリノ 、 ベルビエ 、 ベニス 、
ブリュッセルなどで展覧会を開いています。
デザインキャリア
1955年、ジョエ・コロンボはアート・コンクレット・グループに参加しますが、画家としての道を諦め、デザイナーとしてスタートします。
以前にも、1954年のミラノ・トリエンナーレやアルビソラの国際セラミック会議などで、展示会のために協力もしていました(例えば..."聖地のような(shrinelike)"プレゼンテーション用のテレビの付いた、3つの屋外用の座席...)。
家業
1959年に父親が亡くなると、ジョエ・コロンボは家業の電化製品をプロデュースする会社を引き継ぎ、新しい構造と生産技術を使ったものをはじめます。
1962年に、ジョエ・コロンボは、ロッジやスキー場のホテルの室内コンセプトと建築プロジェクトを専門とするデザインオフィスを開きます。ジョエ・コロンボのこのころの初期のデザインは、非常に彫刻的な形態をしています。
主な作品
ジョエ・コロンボは、弟ジャンニとともに、acrillia(1962
)"のような、照明のアイデアを開発しました。カルテル(Kartell)社のための、彼の最初のデザインは、"chair
No.4801
(1963-1967)"でした。これは、3つの合板の部品から構成されます。これは、後にデザインされる
プラスチック製椅子(たとえば"chair
universale No.4860 (1965-1967)"
これはABS樹脂で作られた最初の大人の椅子)を予感させるものでした。
またジョエ・コロンボは、家具、ランプ、グラス、ドアノブ、パイプ、目覚まし時計や腕時計などで革新的なデザインを生み出します。
プロ用カメラ"Trisystem
(1969)"エアコンディショナー"Candy (1970)"
アリタリア航空のための給仕用の皿(1970
)だけでなく、人間工学的なプリント・テーブルなどもつくりました。
また、デザイナーとしてのジョエ・コロンボは、当初からリビング・システムに興味がありました。初期のモジュラー・コンテナ"Combi-Centre(1963)"もその一例です。こうしたデザインが後の"Additional
Living System (1967-1968)" や椅子の"Tube
(1969-1970)" ・ "Multi (1970)"
に繋がっています。これらは、様々なポジションで組み立てられ、非常に多くの座る姿勢を作りだすことができます。それは、ジョエ・コロンボのデザインの目標である「多様性」をよく表したものです。
またジョエ・コロンボは、先進的なデザインでありながら、生活の細かな所にも配慮し、"ヴィジョーナ・リビング(1969)"という未来住宅のデザインにおいて、家具は構造と一体になり、機能的な部材が部屋に置かれ、可動可能で多機能なリビングルームとなることを提案しています。
ジョエ・コロンボは自分のアパートのために、ユニットやキャビネットをデザインしており、1972年、MoMAでの展示会で公開された。この完全なリビング・マシーンは、キッチンとワードローブ、バスルーム、寝室、客室から構成され、わずか28平方メートルしかありませんでした。
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