◆ハンスJ・ウェグナー略歴
[Hans J.Wegner (1914〜2007)
]
ハンス・ウェグナーは、1914年4月2日、靴職人で町議会議員でもあったピーター・ウェグナーの息子として、デンマークのトゥナー(Tソnder)に生まれました。その店は、手作りのオーダーメイドの靴を作っていて、ハンスは、どうやって、またどんな道具を使って靴が作られていくのか学んだことになります。父親は彼にとっての技術の先生でした。
ハンス・ウェグナーは、やがて家具製造家の道を歩み始めました。Smedegadeでの工房で、木の感覚や感触、木への愛着を発見していたからです。1931年、17歳で指物師としてのプロライセンスを習得、兵役に付くまでの3年間、家具製造家H
F
Stahlberg(その工房は大工の仕事から指物仕事まですべて行っていました)で働きました。ここで、技術を徹底的に学習し、自分のために、彼の最初の試みや設計を行なっています。
ハンス・ウェグナーは、20歳でコペンハーゲンで徴集兵として働いた後、国立産業研究所で学び、毎年行われるコペンハーゲン家具製造家組合展に出会います。この展示会は、1927年から優れた家具職人が参加して行われているもので、Johannes
Hansen, L Pontoppidan, Niels Vodder, Jacob
Kjセer, A J Iversen, Moos, Rudolf Rasmussen
の他 Kaare Klint, Vilhelm Lauritzen, Ole
Wanscher , Mogens
Voltelen達が参加していました。この家具展示会によって、クラフトマンシップや設計手法について多くを学ぶ事ができました。
ハンス・ウェグナーは、その後、美術工芸学校家具科に転籍し1936年に卒業、O
Mソgaard
Nielsenの元で美術工芸学校に残ってで研究を続け、1938年に、建築家エリック・メイラー
と
フレミング・ラッセンのところで働き、その後エリック・メイラーとアンネ・ヤコブセンによって設立された設計事務所で働きます。〉hus
Town
Hallの設計の仕事では、彼は家具の設計をしています。彼は1943年まで、アンネ・ヤコブセンとエリック・メイラーのために働き、独立します。この事務所で1946年まで活動した後、1946-48までコペンハーゲンの建築家Palle
Suensonの元で働きました。その後、再び自分の設計事務所を設立します。
その頃仕事を通じて優れた家具マイスター、ヨハネス・ハンセンと知り合い、彼らの長い付き合いが始まります
。ウェグナーはヨハネス・ハンセン社から多くの椅子を発表しており、1992年にヨハネス・ハンセンが廃業した後は、その下請け企業のPPモブラー社が引き継いでいます。
こうした経緯によってハンス・ウェグナーのスタイルは確立されていったのです。彼は自分の行った努力について「それらの外部のスタイルの古い椅子を裸にし、それらの純粋な構築に現われさせることに専念した。」と語っています。
ハンス・ウェグナーは、現在までに「Yチェア」「ピーコックチェア」「ザ・チェア」「ベアー・チェア」「ビーチ・ムード・チェア」「アーム・チェア」「オックス・チェア」「チャイナ・チェア」等、500種類をこす椅子をデザインしていて、世界の多くの美術館の永久コレクションとして収められるなど、世界的に高い評価を得ています。故郷のトゥナーにはウェグナー美術館が設立されています。
■受賞暦
・1951 "Grand Prix", Triennale in
Milan
・1951 The Lunning Award
・1954 Grand Prix Gold medal
・1956 The Eckersberg medal
・1957 Grand Prix silver medal
・1959 "Citational of Merit", USA
・1961 International Design Award
・1967 "Citation of Merit", USA
・1968 "Citation of Merit", USA
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